下北沢「タウンマーケット ミヤタ」たぶんいろいろな人生が交錯する
最近は皆、雑誌を読まないらしい。
たしかにわざわざ重い雑誌を買わなくても、スマホで情報は簡単にチェックできる。
たまに美容院で女性誌を読むとファッションチェックのところに芸能人のインスタグラムが載ってたりして、紙面とウェブの境界が曖昧になっていることを感じる。
でもそうなった時、いつものまれてしまうのは紙面の方だ。
最近は情報に対してお金を払う感覚が時代遅れになってしまったような気もしなくはない。
Naverまとめのインセンティブやブログのアフリエイト(そして芸能人のステマ)のように、情報は「買う」ものでなく、提供することによって「売る」ものになった。
しかし、ここでの「売買」はお金を出す人と得る人が対になって成立するものではない。売る人は広告主など買う人じゃない人からお金を得る。すなわち、売る人はそのシステムやパッケージを売る人からお金を得る。
少しややこしくなったので整理すると、お金の流れは
売る人(広告主)→売る人(ブロガー)→得る人(ブログ購読者)→売る人(広告主)→・・・
こんなループが出来上がっているようにも思う。
そして、大事なことはこのループは何を生むか、というと何も生まない、ということだ。
NHKで現在の「不寛容社会」についての特集もしていたが、その風潮とも相まって、最近私たちを取り囲む情報は非常につまらないものになったように感じる。
もうすぐドラマ化される「逃げるは恥だが役に立つ」という漫画を少し読んだが、内容とは関係なく、このタイトルは今の時代を生き抜くに当たってとても的を得たことを言っているような気もした。
雑誌の話に戻ろう。雑誌氷河期と言われる中、私にはとても好きな雑誌がある。
本屋さんにおいてあるのはみたことがないけれど、センスのいい美容院などには置いている場合がある。(美容院のセンスを『花椿』があるかどうかで判断することもできる)
今はアプリでもバックナンバーを見ることができるので、寝る前にタブレットでパラ読みもでき、紙媒体は薄くて付録がついていないのもいい。
今をときめく作家やアーティストのエッセイもたくさん載っていて、資生堂の文化事業への取り組みがよくわかる。
その中で、忘れられない作品がある。
山田詠美が書いた「ブッディスト・ディライト」だ。
この作品はおそらく、山田詠美の実体験とフィクションが入り混じったもので、「運命を変えてしまう偶然がいきなり姿を現す」、80年代半ばのニューヨークが舞台となっている4ページの短編である。
──リムジンの客になるか、お情けの小銭で飢えをしのぐ側になるかは、まったく予想がつかなかった。運命を変えてしまう偶然がいきなり姿を現す街なのだ。私は、そのいくつかの例を見聞きして、道をうろつきながらいつも夢想した。ここに滞在していれば、いつか私も、とんでもない幸運にぶちあたるかもしれない。しかし、それと同時に、そんな事態など到底望むべくもないのを、うすうす感じてもいた。東京でなにひとつまともにやり通せなかった人間が、どこに場所を移そうと、どうにもならないのに決まっている。そこに想いが至ると涙が滲んで来るのが常だったがこらえた。まだ、自分自身に期待している。それを日々確認することで、私は、希望の火をたやさないでいられたのだった。
私が初めてニューヨークに行ったのは大学最終年の年だった。
山田詠美は80年代のニューヨークには「今とは比べるべくもない混沌」があり、街にパワーが満ち溢れていたというが、実際にニューヨークに行くと引用部の雰囲気がよくわかった。夢と希望に溢れているけれど、同じ数の破れた夢と嫉妬がある。 ニューヨークは様々な悲劇を経てもまだパワーのある街だったのである。
──から騒ぎに疲れると、私は外を歩いた。気ままに散歩するには寒すぎるので、だんだんとはや歩きになる。その速度は増すばかりで、いつのまにか旅行者らしからぬ歩き方を体得して周囲に同化する。でも、私は、決してニューヨーカーではない。
まさに、こんな感じだった。この後「ブッディスト・ディライト」の主人公はチャイナタウンに行き、中国系アメリカ人と恋に落ちるが、わたしにはそんなドラマチックなことはおこらなかった。友達と会わない日はセントラルパーク近くのホールフーズのキラキラした野菜を眺め、美味しいお惣菜を買ってホテルで食べたけれど、それも虚しくなって、とにかく夜まで散策した。グランド・セントラルあたりにはたくさんのビジネスマンがいて、小洒落たレストランがある。人の波に逆行しずんずん歩いていくときれいな格好をした人は少なくなり、小汚いスケーター少年ばかりの道になったりする。
とにかくニューヨークは雑多で、私はその中で風に舞うたんぽぽの綿毛のように、地に足がつかず、何もかもが身の丈に合わないような気がした。お腹は空いてもどこでなにを食べようか検討がつかず、ただふらふらと歩いた。今思うと、マンハッタンをきっぱり諦め、クイーンズなどよりマルチカルチュラルなところに行けばよかったのかもしれない。それでもなぜか、当時はマンハッタンに固執してしまっていた。
日本のコンビニみたいなところがあったらいいのにな、と思っていると暗い中に明かりが見えた。それは、夜の時間帯まで決まって開いている、「I ♡ NY」のTシャツを売っているお土産物屋さんではなく、少し大きめのグローサリーだった。
そこは韓国人のおじさんがやっていて、種類の豊富なサラダバーとちょっとした韓国料理のお惣菜が売っていた。値段も手頃で、プラスチックのケースにもりもり野菜やフルーツを詰めた。それはとてもよい思い出で、ニューヨークで敗者と勝者の間でもみくちゃにされ、空洞になりかけていた自分の「中身」をまた取り戻すことができたような気がした。わたしはまだリングには上がっていない、敗者でも勝者でもない「雑多」の一部で、ニューヨークには私もぴったりと収まる同じカテゴリーの人・物・場所がちゃんとあること、それに気づいた時、ニューヨークという場所がもつ包容力を感じた。
急がなくてもいいのだ。まだリングには上がっていないのだから。
戦う気さえあれば、それでも大丈夫。
下北沢に越してきて、夜散歩しているとニューヨークの懐かしい光景に似た懐かしい風景があった。少し大きめのグローサリーならぬタウンマート、都会には似つかわしくない優しい店主、それが今日取り上げる「タウンマーケット ミヤタ」である。
場所はかの有名なクレープ屋、「アンドレア」のお隣だ。西口を出てセブンイレブンの方にまっすぐ歩けば辿りつく。
普通のお肉も扱うスーパーなのだが、趣的には完全に「八百屋」である。
田舎の街には馴染みそうだが、下北沢にあるとミスマッチ感があり新鮮だ。
商品のセレクトも独特で「わたパチ」や「ネクター」など懐かしのお菓子も多く、子供時代にタイムスリップしたような錯覚を覚える。
中でも謎なのがこの「あのお店の中華麺」である。
「あのお店」とはどこなのか、ずっと気になっているがまだ聞いたことはない。
お肉も豊富に取り揃えていて、他のブログによるとベーコンが絶品らしい。
お肉屋さんらしくポテトサラダなども扱っていて、みていて楽しい。
店内に飾られているポスターもとてもレトロである。
24時間営業のfoodiumや主婦の行きつけオオゼキ、若い人が集うピーコック、おしゃれな成城石井やナチュラルハウス、新規オープンしたオナカスイタなどスーパー激戦区の中でひっそりと佇む「タウンマーケット ミヤタ」。
自身をスーパーマーケットとも呼ばず、また八百屋とも呼ばない絶妙なブランディングと時季外れ感はいつも安心感を与えてくれる。
下北沢は昼と夜で全く違った顔を見せる街だ。
昼は観光客や中高生の多い、活気ある街なのだけれど、夜はまだ夢を追っている大人たちがたむろし、ふしぎな空気になる。
どこのお店も夜遅くまであいていて、ビジネス街とは街に流れる時間の速度が全く違う。下北沢の住民の朝は遅く、夜も遅い。
深夜1時まであいているのは、その下北沢時間を考慮した結果なのだろう。
レトロなタウンマーケットも、ちゃんと街と呼応し、住む人の生活を支えている。
東京は大都市で、忙しい場所だ。孤独を感じたければ渋谷のスクランブル交差点をゆっくり歩いてみればいい(井の頭線に乗るところから眺めるのもおすすめ)
隣を歩いている人と自分の人生は交わらず、また人は都市の中で名もない人間であるということが痛いほどわかる。
下北沢はおしゃれな街としてずっと注目されてきたが、その「おしゃれ」という言葉から、表参道のような「スタイリッシュさ」や代官山のような「スノッブ感」は差し引かなければならないと思っている。今でも、下北沢はショッピングだけをする場所でもなく、また選ばれた「勝ち組」だけが住むところではない。おしゃれさもあり、少し垢抜けない、乱暴に言い切ると「野暮ったい」趣も十分にある。
しかしその野暮ったさは、決して悪いことばかりでない。
人を思う優しさや、他者を受け入れる包容力はそこから派生するものだろう。
そして、人が名前をもつ人間として存在し、人生を交錯させることを許すのである。
その象徴の一つが、「タウンマーケット ミヤタ」であることは間違いないのだ。
タウンマーケット ミヤタ
・住所 世田谷区代田6-5-25
・電話番号 03-3466-9165
・営業時間 平日・土曜日 10:00~深夜1:00
日曜日 15:00~深夜1:00
・定休日 なし